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大阪市交60系のまとめ(その1)

みなさんこんばんは。大阪市交60系についてです。かなりの長文ですから、心してついてきてくださいね(笑)

長くて読みにくい文章ですが、読めばきっと、60系のことが好きになるはず…w

記事名の"まとめ"というほど本格的なものではありませんが、来たるNゲージ製品化にあたって少しだけ実車について…でもマイクロさんの説明文が結構わかりやすく要約されていて負けるかも(笑)

60系は1969年(昭和44年)10月~11月にかけて、5両編成18本の90両製造されました。最高速度は地下鉄堺筋線内で70km/h,阪急京都線内で110km/hが出せるようになっていました。また製造翌年の1970年(昭和45年)に優れた鉄道車両に贈られる、ローレル賞を受賞しています。当時としてはとても近代的だったそのイケメンフェイス(笑)は小田急車両などにも影響を与えたとか。列車無線アンテナが縦に2基あるのが、今も現役の66系にも受け継がれています…


~デビュー時~

まず発売予告されている登場時。当初から最大8両編成になるよう計画されていたという60系。その思惑が車番に見て取れるところが面白いところ。

←大阪・動物園前                   京都・北千里→

6000(Mc)-6300(M)=6600(T)-6400(M)-6500(Mc)

車番の百の位について、5両編成なので京都寄り先頭車が 5 なのは分かりますが、編成真ん中のT車が 6 になっており、「まずは6連化かな…」という予測でもしていたんでしょうか。それぞれ6001F~6018Fまで18両ずつの製造です。最初から90両だけの製造と決められていたらしいです。"="で向き合っている中間車の部分には簡易運転台がありました。登場したてのときは側面に色が一切ないアルミ合金そのままで、前面窓下(つまり前面腰部)のアルマイト板の部分が真っ赤に塗装されていました。大阪市交の地下鉄車両としては初めての「ある程度の速度を出して踏切を通過する」という事実に備えてここだけアルミではなく強度を求めた…とかなんとか。アルマイトっちゅうのがどれほどの強さなのかはよく知りません(笑)

こうして60系は菱形パンタグラフ、客用ドア窓は小窓タイプ、モニター屋根の非冷房で、阪急京都線の相方3300系と仲良く走っていました。1970年に開催された大阪万博での旅客輸送にも、各停の他にEXPO準急として運用されていました…

1975年、デビューから6年が経った年、パッと見て何線なのか分かりやすいようにと(たぶん路線図の見た目的な意味があったのでしょう)、号線カラ―化が行われました。車体側面の窓下に交通局を示すマーク(通称コマル)の入った号線カラ―の帯を巻くようになり、堺筋線には茶色があてがわれました。コマルとは、マークの見た目が文字通り「円とカタカナの"コ"を合わせたものにそっくり」であることが由来らしいです。なんで茶色やったんでしょうか。私は堺筋線の車両(年代的に66系ですが)のことを「あぁ、あのウ○コ色の線が入ってるヤツやろ~」という鉄オタではない友人を3人ほど知っています…多分阪急電車と合わせたんでしょうねぇ…あずき色にしたら御堂筋線と近くなってしまいますし…ちなみにあの茶色、正確には「ビビットブラウン」という全然ビビッと来ない名前らしいです…おもんないシャレでしたね…すいません(笑)


~6連化されて~

デビューからもうすぐで10年、というときに阪急京都線車両の6両編成化にあわせて60系も6連化されました。ふつうなら登場10年という若さと1形式オンリーの一大勢力を誇っているため「中間車を新造して…」となるところでしょうが、計画の通り90両きりの製造でしたので、大阪市交が当時お得意だった「編成をバラしてねじ込む」手段に出ます。ちなみに後継車の66系ではそんなことは行いませんでした。

(改造前)     (改造後)
6016~6018→6701~6703

6316~6318→6704~6706

6616~6618→6707~6709

6416~6418→6710~6712

6516~6518→6713~6715

6連化完了時
6000(Mc)-6300(M)=6600(T)-6700(T)-6400(M)-6500(Mc)

元先頭車は向きを変えずにそのまま編入されました

1編成が5×18から6×15の90両に変化して、15両の種車のうち12両も存在した電動車はT車化されて新たに付随車6700が生まれました。大きな特徴としては、元先頭車だった6000・6500由来の中間車(6701~6703・6713~6715の6両)は先頭車そのままの姿で中間に入っていることでしょうか。まぁ兄貴分の30系にもそんな編成があったみたいですし、特に異例だったというわけではないらしいですが…上記の注意書きの通り先頭車も完全付随化した上で(つまり運転操作は不可能になった)、見た目は変化なしに編入されたので、元運転台が大阪寄りの6701~6703と京都寄りの6713~6715に分けられます。つまり6連化されても、6004F~6012Fはキレイな貫通編成だったのです。

1981年ごろから、パンタグラフが菱形から下枠交差型に変更され始めました。


なんだか書いていてほとんど過去形なのが悲しいです…このあと冷房化、ドア窓大型化、8連化と続いていきます。少し複雑です。正直、この6連時代が一番変化があった時なので、マイクロさんも商品化しなかったものと思われます。まぁそりゃそうだわな…時代設定が限られてくるものって、なかなか商品にしにくいでしょうし。


次回に続く…
by junkyu2301 | 2013-01-28 23:00 | 大阪市交
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